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最高裁判所第三小法廷 昭和24年(れ)1614号 判決

主文

本件各上告を棄却する。

理由

弁護人松永東及び同名尾良好の上告趣意第一点について。

旧刑訴法三四〇条にいわゆる証拠書類とは、当該訴訟に関し作成せられ証拠の用に供せられる書面を指称するものであること、当裁判所の判例(昭和二四年(れ)第六五五号同年八月九日第三小法廷判決等)の示すとおりである。所論の各犯罪届書は、本件の盗難被害者によってその被害顛末を報告するために作成せられ、捜査官憲に提出せられ、本件記録に編綴せられた文書、即ち本件に関し作成せられた文書であって、その存在自体並に成立が問題とされたのではなく、その記載内容のみが証拠となったのであるから、右の証拠書類にあたるものであること明らかである。それ故に、原審がその証拠調にあたって、その要旨を告げたのみでこれを被告人に展示しなかったからとて、所論のような違法はなく、論旨は理由がない。

同第二点について。

共犯者は被告人本人ではないのであるから、憲法三八条三項及び刑訴応急措置法一〇条三項にいわゆる「本人の自白」の中には共犯者の自白が含まれないこというまでもなく、含まれるという解釈を前提とする所論の理由なきことは、当裁判所の判例(昭和二二年(れ)第一五一号同二三年二月二七日第三小法廷判決及び昭和二三年(れ)第一六七七号同二四年二月一七日第一小法廷判決)に徴しても明らかである。当裁判所の判例はしばしば、共同被告人の供述が被告人本人の自白を補強する証拠となり得ることを判示している(昭和二三年(れ)第一一二号同年七月一四日大法廷判決等)のみならず、被告人本人の自白がなくとも、相被告人が被告人本人の犯罪事実を供述し、その供述の架空でないことが被告人本人の供述その他の証拠によって保障せられている場合には、これによって被告人本人の有罪を認定し得るものとしている(昭和二四年(れ)第四〇九号同二五年七月一九日大法廷判決)。本件についてみれば、原判決が証拠として採用した第一審第二回公判調書中第一審相被告人手塚の供述として、被告人田崎が同人に対して窃盗よりも強盗をやれと申向け、その仲間として野原を紹介し、且つ強盗に用いる短刀を交付した旨の記載があり、被告人田崎も、野原を手塚に紹介した事実は第一審第二回公判において、短刀を手塚に売った事実は原審公判廷において供述しているのである。被告人田崎のこれらの供述に加えるに原判決挙示のもろもろの証拠を以てすれば、前記第一審相被告人手塚の供述が架空のものでないことを保障するに充分であるのみならず、被告人本人の供述により被告人と判示強盗幇助の事実との結び付きも裏書されているのであるから、原判決が以上の各証拠を綜合して、判示強盗幇助の事実を認定したことには、所論のような違法はない。論旨の理由なきことは、前記各判例に徴して明らかである。

同第三点について。

被告人島崎喜代次は上告を取下げたのであるから、同人に関する論旨については判断を省略する。

同第四点について。

所論服部正治提出の被害始末書に記載された盗難品中、中古自転車一台とあるのは、第一審相被告人手塚好武の単独犯行(第一審判決十一の事実に)よる盗品であって、被害者服部はこれを硝子四枚と一括して一通の被害始末書に記載したに過ぎない。唯この被害始末書には、盗難の日時は昭和二三年七月一七日、盗難品は硝子四枚(及び前記中古自転車一台)と記載されているにも拘らず、原判示事実はそれぞれ日時は昭和二三年七月一二日頃、盗品は硝子五枚となっていること所論のとおりである。しかし本件のような多数の犯罪中の一事件につきこの程度の些細な採証の誤りがあったとしても、判決の主文に影響を及ぼさないこと明らかであって、これを以て所論のように原判決を破棄する理由あるものということはできない(昭和二三年(れ)八七〇号同年一二月二一日当裁判所第三小法廷判決参照)。その余の論旨の理由なきことは、論旨第一点について説明したとおりである。それ故論旨いずれの点も採用することができない。

同第五点について。

原判決は、被告人佐々木が手塚、田中等と共謀の上窃盗をした犯罪事実を認定しながら、これに対して刑法六〇条を適用する旨明示していないこと所論のとおりである。しかし原判決の全文を読めば、佐々木に窃盗の共同正犯の規定を適用する趣旨が窺われるから判文上これを明示する必要はない。論旨は理由がない。

以上の理由により、旧刑訴四四六条に従い、裁判官全員一致の意見を以て主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 長谷川太一郎 裁判官 井上 登 裁判官 島 保 裁判官 河村又介 裁判官 穂積重遠)

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